ぽんたん うつ病克服への道

うつ病、発達障害ADHD、自閉スペクトラム、睡眠障害、パニック障害、抜毛症と闘うブログ

12.6 うつと診断された時の話3️⃣

休み方が分からなかった。療養と言われても。仕事の事が気になって、休んだ心地はしなかった。早く戻らないとと焦る。

はじめの休みから1週間後の面談では、これ以上休む事を遠まわしに拒絶されてしまった。診断書では1ヶ月、残り3週間の療養が必要とされていたが信じられていなかった。申し訳ない程度にあと1週間休ませて欲しいと伝えてみたが、

ここで勇気を出して一歩踏み出さないか。これ以上休むと社長には言えないと返答がきた。

なのでもう、その時点では休むという選択肢は用意されていなかったように悟った。やむを得ず、これ以上休む訳にはいかないので、明日から…とその次の瞬間だった。

一気に動悸が激しくなり意識が遠くなりはじめた。何がなんだか分からなくなり、落ち着け落ち着け。と上司に言われたのを覚えている。

自分では何が起こったか理解に苦しんだが、仕事に戻る事を想像して苦しくなったんなら、仕事に戻るのはやめておいた方がいいとやっと言われた。

そこではじめて休むという選択肢が現れた。

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コメダコーヒーにてモーニング。

12.5 うつと診断された時の話2️⃣

ただ車の中で震えていた。助けを求めるようにして妻にメッセージを送った。妻は職場を早退して2時間掛けて来てくれた。その2時間はあっという間で、その間も車の中でどうする事も何かを考える事も出来なかった。

そのまま家まで送ってくれた。ただ上司に連絡しないと、このままではまずいと思い。帰宅後連絡をし、本社に報告しに行く。診断書を渡す。診断書では1ヶ月の休職ではあったが、罪悪感からか1週間だけでも休ませて欲しいとお願いし、一旦、1週間の休暇を貰う事になった。

1週間はあっという間で、療養するというには短すぎたようだった。何かが変わったような訳ではなく。さらに悪化したような感覚で、足取り、気持ちは重たかった。しかしながら、1週間の休みという約束だった以上、さらに休みを求めるのは非常に言いづらいものだった。

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スパムカツ、沖縄料理店にて。

12.4 うつと診断された時の話1️⃣

2019年8月5日、うつ病と診断された。動けない、そして出社出来ない以上病院に行かなければ話にならないと思い、慌てて診療内科を探す、職場の近くの所2件を当たってみたが、予約が必要で早くても2週間以上先になるとの事。さらにネットで探すと車で1時間以上かかるオフィス街の中にある病院なら今からでも診てくれるとのことで、早速向かう。

ただ、その時は意識はあるようで無かったように思う。病院では本来靴を脱いでスリッパに履き替えないといけなかったが、初めて行った時、終始それに気づかずに革靴のまま院内を歩いていた。

診察では何を言ったか覚えていない。とりあえず診断書だけ貰いそのまま店舗の駐車場に戻る。ただそれでもどうしたら良いか分からず。ただ車の中で震えていたように記憶している。

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ラムチョップスペイン料理

12.3 39の誕生日の記憶。

気付けば救急隊の方が起こそうとしていた。あまり、記憶にない。断片的に、何かが自分の中で崩れ落ちた日だった。台所で意識を失った。生きている心地がしなかった。

妻から誕生日プレゼントを頂いた。分厚い本のカタチをした箱だった。自己肯定感が少なくなってるから、その中に大事なモノを入れて欲しいとの事だった。それ自体を理解する事も難しかった。

なんとか気を戻し、それから3日後の通勤から仕事に行けなくなってしまった。通勤中の車の中でも動悸が激しかった。いつもの時間にいつもの駐車場に着いたけども、どうしても降りる事が出来なくなっていた。自分でもよく分からなかった。

2019年8月5日の朝の出来事だった。

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生まれてきて本当によかったのだろうか。

このまま生きて大丈夫なんだろうか。

12.2 滞空時間

職場での心理的苦痛は悪化していったように思う。今思えばだが。そのときは特に気にはしていなかった。というより、その余裕はなかった。依然として人間関係での悩みは尽きなかった。そしてそれが劣等感となり、なんとかしたいと、もがいていた。

なぜ、なぜ、なぜ?

どうしたら、どうしたら、どうしたら?

この繰り返し。

生き辛さが日に日に増していった。7月末には、自分の行動が自分で分からなくなっていった。朝礼では立ってるだけで精一杯だった。ありとあらゆる人の視線が気になって、とうとうひと回り以上も年下のアルバイトにさえ恐怖心が芽生え出した。

それでもなんとかなる。と言い聞かせ、前を向き続けた。燃料切れの戦闘機のように風の吹くまま、その限り。滞空時間を伸ばそうと必死だったのかもしれない。そしてそんな中で、私は8月、39歳の誕生日を迎える。

12.1 潜在意識の中で

カウンセリングは7月から通い始めた。月に2回、一回60分6千円。1ヶ月あたり1万越える事を考えると高額だが、それでもこの自分の悩みが治るなら安いと感じた。それくらい、なんとかしたかった。

カウンセラーに自分の悩みを話して言われた事は育った環境の中でのDVなどのトラウマが潜在意識の中で積み重なって、脳に傷がついてしまっている状態との事。脳の土台に沢山のキズがあるので上に何かを積み上げてもすぐに崩れやすい状態だとも言われた。なので、他人との距離感を掴めないなどの状態になってしまっている。

なるほど。とそのときは思った。しかし治すには2年は通わないと治らないと言われ、がっかりもした。長くても1ヶ月で気持ちが楽になるもんだと期待していたのだから。

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そんな今日は、マグロ乗せ放題丼。

11.30 カウンセリング

今年5月の終わり、自分への疑いが現れてから自分自身の他人との違いの真相について調べた。そこでアダルトチルドレンや、発達障害など出て来た。思い当たる行動、性質が多くあり、もう自分で決めつけていたところもあった。

だとしても、自分がどうすれば対人関係への不得手を克服出来るのかが分からない、色々本を読んでるうちにメンターが必要だと出てきた。そういえば仕事のことで相談できる人が会社にいない。というより、もともと誰かに相談する事が出来ない性格でもある。

そこで色々調べているとカウンセリングという言葉が出て来た。社外で相談できるカウンセラーを頼れば今の対人関係への悩みが解決するのでは無いかと思った。もう色々探した。場所、値段、ホームページの内容と。そこで一つのカウンセラーを予約してみることにした。とにかく衝動的に、藁をもすがる思いだった。あれから1ヶ月、6月終わりの事だった。

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沖縄料理店にて、パインチューハイ。